演者に認知して頂いたヲタクの末路

推しに認知されたい、こちらを見てもらいたいと思い始めたら終わりだという尊い教えは事実だと思います。

 

あ、初めまして。

私は長い間規模がデカすぎる某J事務所のアイドルを追いかけていたのですが、今は狭い世界の演者に魅力を感じ、現在は掛け持ちでヲタクをやっている人です。

 

ていうかその演者って?どこの?どういうこと?って思う人はたくさんいると思います。アイドルや俳優さんとかに比べたら圧倒的に狭い世界だし、詳しく書くのもなあと思うので控えるよ。

 

接触イベを知る

そんなこんなで私はその人のファンをやっています。その人を推し始めてから毎日が楽しくなって暇さえあればオンステを観に行ってました。オンステの他に不定期開催のイベント(簡単に言うと接触イベ)もあるんだけど、私はオンステで踊ってるその人が好きだったからキャラになりきってない素の推しを見ることができる接触イベには興味がなかったんです。

演者としての推しが好きだったからね。楽しそうに踊ってるのが好きなの。オンステで踊るところを観つつ写真をパシャパシャ撮って、それを見て楽しさを享受して友達と話すので満足だった。写真撮影自由なところが良い。ありがたい。

 

接触イベに行く

でもねでもね、ふと「接触イベに行ってみようかな」って思う瞬間があったんです。

 

オンステ中の推しは演者だし観客の全員に満遍なく手を振りファンサをするんですよ。それは演者として大切なことだと思います。私もそういう人が大好きです。

でもたまに、あ、今特定の人にファンサしたなって思うことありません?それはアイドルの現場でもなんでも、ファンが発生する現場ならどこでも現れる現象だと思ってます。

それを目の当たりにした時に「あ、いいなあ」って思ってしまったんですよ。簡単に言い換えると認知っていいなあって。

 

接触イベはオンステでは見られないダンスだったりが見れるから良い機会だと自分に言い聞かせて、推し始めてから約一年後になって接触イベに突撃してみました(かなり遅い)。

そして少し推しと初めてお話をした。分かりやすく言うと握手会的なね。そんな堅苦しいものじゃないんだけど。

オンステで見てるのが好きだったから感想を直接伝える術なんてないと思ってたので、そこはすごく嬉しかった。あ、こんな人だったんだっていう発見もあった。

 

 

そんなこんなで接触イベの楽しさを知り、その後も接触イベに行ったりしてました。言うてもオンステがメインだけど。

それでとうとう認知されたんですよね。接触イベでお話をした際に、「覚えてますか?」とか「初めまして」とか言って推しを困らせるのも嫌だったので「こんにちは」って言ったんですよ。そしたら「えっ久しぶりだね」って。そう言ってくれた時めちゃめちゃ嬉しかった。遠くから見ていつも楽しませて頂いてる人の視界に私は入っている。しがないただの追っかけを認識してくれるのか…って感じだった。

その後のオンステでは目があうし、ファンサもしてくれた。撮影した写真を公演後に見返すと目線が来てることが多くなった。私が一年前に「あ、隣の人ファンサされてるなあ」って思ったことが自分に起こっていた。

 

私の推しがいるこの界隈は側から見たら本当に狭い世界なので認知されるのも簡単なんです。芸能人の枠でもないし。周り認知だらけっていうこともザラにある。

 

認知されてからはもうめっちゃ楽しかったです。でもね〜〜〜当たり前ですが毎回自分を見つけて何かしてくれるじゃないんですよね。演者だってファンに対してだけ踊ってるわけじゃないんだから。来てくれた人全員を楽しませることが役目なので自分のファンにばかりファンサしてたら切りがないんですよ。

そこの理解はあります。なんせ気持ち悪いことですが、私は自分が演者だったらっていう妄想を繰り返してるから。こういうファンは嫌だな、とかステージからお客さんってどう見えてるんだろう、どうせ米粒なんだろうなっていう来世でしか参考にならないことをいつも考えてるから。

 

認知の呪縛に襲われる

認知される前はそんなこと気にしなかったのに、認知されてからは手を振ることや目線の写真を撮ることに必死になって公演を純粋に楽しめていないことにすら気がついていなかった。私の他に誰に手を振ってるんだろう?とかそういうのが気になっちゃって。極端に言えば、え、わたし見に来てるのになんで気がつかないの!?!?みたいな。もうそんな人ファンじゃないわ。認知の力ってすごいよね…パワーがえげつない。

 

 

そもそも目線が来てる写真ってめちゃめちゃ近距離で撮ってない限り、自分にだっていう確証ないんですよね。遠目から撮ってた場合、自分含めその周辺の人のカメラには目線が来てるような写真撮れてるから。なんて悲しい現実。

 

それと手を振ったときに気がついてくれなかったときすごい悲しくて。認知されてからはこっちを見て欲しいっていう想いが大きくなってきてこりゃダメだなって。

公演を観に行って、気が付いてくれなかっただけで落ち込んで帰るってなにこれ。でもカメラのメモリーの中には目線が来てるような写真が撮れている。果たしてこれは本当に私に視線を送った写真なの??そんなこと考えるためにヲタクやってるんだっけ??あれ?わたしおかしくなってない??ってね。

欲を言えば推してるから特別扱いしてほしいよ、常に目線欲しいし手を振り返して欲しい。でも私の中に住んでるレフェリーみたいな奴が「公演はみんなで楽しむもの、ヲタクだけのものじゃないし、推しはお前だけのものじゃないんだ」っていってる。認知されて高揚しても大事なことはちゃんと分かる人間でありたい。

観れるだけで嬉しかったときの感情はマジで忘れてはいけない。

認知されてからファンとしてのレベルが一個上がったような感覚になったことがダメだったと思う。ちょっと近しくなれたとか思ったよね。推しからしたら頻繁に来てるから覚えちゃったよ。っていうのが正解だと思います。

 

認知前の方が何も考えずに応援できたかなと思っても、認知前に戻ることって出来なくないですか?数ヶ月会わなきゃ推しの記憶から消えるかなと考えたんですけど、私だってあんまり関わりなかった中学校時代の同級生の顔とか未だに覚えてるし、でも数ヶ月の間オンステを見ない拷問なんて耐えられない。記憶から消されたいとも思ってないし。ヲタクはわがままだね。

 

認知って奇跡だと思うんです。推しが知ってくれているって人生最大の喜び。だからこそ、距離とかオンステの楽しみ方とかちゃんと考えなきゃって思います。勝手に悲しくなってるの自分だけどね。

あ〜〜〜ヲタクって楽しくてちょっとつらい。

 

 

 

 

 

おしまい!